八尾の停車場(八尾のステンショ)

明治二十二年五月に湊町ー柏原間の鉄道敷設工事が完成して安中に八尾停車場が設置され
た、これによって大阪への交通は非常に便利になった。
大正時代の停車場の前には人力車が常にたむろしていた。叉その場所の向側には、汽車に
乗るために遠方から来た河内の素封家達が利用するための休憩家屋があった。
八尾駅の改札ロでは駅員が到着列車の数分前に終着駅名を通知してプラットフォームに乗
客を入場さすのであるが、それまで待合室で待機しなければならない。
厳寒の室内には石炭ストーブが設置されている。
発着列車は一日に十数回であるから各家庭にほ夫〃時刻表を屋内に保管しているが一列車
乗り遅れると二時間位、待たねばならないので大変である。
『湊町行き』のプラツト・フォームの南裏側の水田では、早苗の頃にほ蛙の鳴き声がやか
ましく、のどかな田園風景でぁる。
その静寂を破って東方より大蛇のように構内にすべりこんで来る列車を見て、明治の人が
卒倒したと言い伝へられているが、あながち誇張でもなさそうな勢いである。
河内野を走る列車内はのんびりとして『ポンチ絵』を三冊、金拾銭で乗客に売りつけてい
る人もいる。
天王寺駅に着くと、さすがに大きい駅である。
プラット・フォームたは赤帽(手荷物運搬人)がいるし、ビール・正宗・マッチ・タバコ
・牛乳等を容器に入れて大声で売り歩いている人もいる。
待合室には二等・三等・両待合室があって二等切符・三等切符の乗客を差別している、
『参考』
現在でも、河内街道・萱振恵光寺の門前に『八尾停車場までに廿九丁・一三間』の石柱が
立っている。