真宗東本願寺の別院で、東西両本願寺の分立に際して東本願寺に属して一六六〇年建立された。
京都の本山が一七八八年に焼けた時は、この本堂を移して仮御影堂に代え十年後再び返されて旧に復した。
然し、昭和ニ十ハ年三月三日突如本堂の棟が崩れ、その後今のような全面改修となった。この寺は中河内郡で最大の木造伽藍であって、本堂北側の回廊が涼しくて盛夏には周囲の人の絶好の昼寝場所であったが、タ闇になる頃には余り静かで鬼気迫るものがあったといわれていた。
輪番(院主)の息子の友達は「門前の小僧習わぬ御経を読む」の例えのとおり皆上手に御経を暗唱すると自慢していた。
山門北側の太鼓楼は桃山時代の遺構と伝えられている建勢物であるため、端正なたたずまいであった。
帝国キネマ・小阪撮影所のスター、明石緑郎その他の俳優が山門或いは白壁塀の付近を時代劇のロケーションとして屡々利用していた。 |
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